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写ガール


フィクションで語られるストーリーを、現実の描写とあわせて連載する。『マルク・シャガール』の絵が連想させる、親しみやすさや、素朴さや、純真さ。それらを彼が晩年に得意とした作風、「夢と現実のコラボレーション」とイメージを重ねる。写ガールから創られる、群馬の美少女とクリエイターのストーリー。




Beautiful girl pictorial book

vol.02 [JAM]

出演
山本美沙紀(ミュージカルユニット cabo)
EMI
荻野真里

小説
HERE

撮影
GUU(TROiSDESIGN)

ヘアメイク
田中英司(Ifh)
深津亜紀(Ifh)

撮影地
el julio
FREAK'S STORE TAKASAKI

衣装協力
FREAK'S STORE TAKASAKI
HEART MARKET

企画・制作
TROiSDESIGN

JAM

青春の階段には複雑な思いがたくさん。それでもわたしは、彼女に憧れる。


 午前中の授業を無事に終えたあと、午後の授業が休講になっていることを掲示板で確認した。これで夕方から始まる居酒屋のバイトまで時間ができた。わたしは美味しいコーヒーを出すお気に入りのカフェに立ち寄り、いつものブラックコーヒーと焼き立てのトーストといちごジャムを注文する。
 トレイの上に香ばしく薫るトーストとコーヒーを乗せ、空席を見つけ腰を下ろす。さっき鞄の中で震えていた携帯電話を取り出し、コーヒーを飲みながらメールを確認した。同じ学部の友人が彼氏と別れたので反省会を開くのだそうだ。メールの最後に書かれた、いつもの居酒屋の名前と時間を確認すると、『了解』とだけ打ち送信する。大学に入学した当初は流動的だった友人関係も、3年目になるとサークルやゼミといった集まりの中で落ち着いて行った。わたしもゼミの友人たちと休日にザスパの応援に行ったり、ショッピングをしたり、海に行ったり、ボードに行ったり、と、それなりに大学生活を満喫している。


 いちごジャムをたっぷりとつけたトーストを食べ終える頃になると、店内はほぼ満席状態になっていた。わたしが通っていた予備校のテキストを広げる受験生の姿も見える。そういえば、そんな時期もあったなあ。と感慨に耽っていると、「そこ、空いてる?」と独特なアクセントの声が聞こえてきた。耳慣れないアクセントに驚き、恐る恐る声のする方へ視線を移す。声の主だと思われる女性はその場で立ちつくしていた。わたしは反射的に、「どうぞ」と言って前の椅子に置いてあった鞄を自分の椅子の下に移動させる。
「ありがとう。まさかこんなに混んでるなんて想像もしていなくて。このお店にはよく来るの?」
 彼女は初対面のわたしに向かって、古くからの友人と会話をするかのように話しかける。そして、わたしが返答に困っているのを気にすることもなく、テーブルの上にトーストとコーヒーを乗せたトレイを置いた。
「初対面なのに相席だなんて気まずいよね。ごめんね。わたしはキサキっていうの。三浦妃、26歳」
 とキサキは自己紹介をし、正確な動作で椅子に座る。突然の自己紹介に戸惑いながらわたしも自分の名前と年齢を言った。
「いい名前だね。あ、わたしのことは呼び捨てでいいから。堅苦しいのはやめて楽に行こう」
 キサキは焼き立てのトーストに添えてあったブルーベリーのジャムをつけて口に頬張る。慣れた手付きでトーストにぴったりの量のジャムをとり、均等に塗っていく様子はまるでなにかの儀式のようにも思えた。もしも『トーストの作法』というものがあるとしたら、キサキのこの食べ方に違いない。
「博物館や美術館を回ることが好きなの。今日も行って来ちゃった」
 そう言って、キサキは錆びついた仏像のパンフレットをわたしに向かって差し出した。わたしはキサキのペースに流されながら、受け取ったパンフレットをめくる。
「あ、そのページのこれはさ」
 控えめなデザインのジェルネイルで飾られたキサキの指先が明朝体と仏像の間を踊った。キサキは「この仏像は県の重要文化財でさ、平成になってから指定されたんだって」と、意味不明な単語(たぶん仏像の名前だと思う)を言った。それは日本語にも関わらず、キサキ独特のアクセントによって遠い外国の言葉のように聞こえた。キサキは自分のアクセントを気にする様子もないので、わたしはキサキにそのことを聞くことはできなかった。


「なんだ。それ、わたしのお店じゃん」
「うそ」
「嘘じゃないよ。今年の春にオープンさせたんだよね。いやー、資金集めるのに苦労して大変だったよ」
 キサキは仏像講義を終え、すっかり冷めて硬くなってしまったトーストをかじっている。その間、今度はわたしが今年の高崎映画祭で観た映画の話や、最近オープンしたばかりで気になっているショップの話をする。「ちょっと敷居が高そうなんだけど、そのショップにいつか入りたいんだよねー」と話すわたしに、キサキは当たり前のことを話すようにそう言った。
 “自分の店を持つ”なんてどんな気分なのだろう? キサキの言葉はわたしの現実とはかけ離れていた。まるで映画や小説の登場人物と話をしているみたいだ。驚きのあまり言葉を失ってしまったわたしは、キサキがコーヒーにミルクを入れて慎重にかき混ぜているのをただただ眺めることしかできない。コーヒーカップに注がれる白が、複雑な模様を描きながら黒と混じり合っていく。
 薄茶色に変化するコーヒーを眺めながら、「そうなんだ。前を通る度に入ってみたいなーと思ってたんだけど、なかなか入れなかったよ。今度行ってもいい?」と、何も考えずに言っていた。
「よくそう言われるんだよねー。たしかに値段も中の上ぐらいだけど、後悔させないお洋服ばっかりだから是非遊びに来てみて」
 キサキはわたしと目が合うと顔の筋肉をすべて使って笑った。こんな風に笑うひとを、わたしは知らない。


会計を済ませて外に出ると、冗談みたいな土砂降りの雨がわたしたちを待っていた。先週、洗車したばかりなのに。わたしは溜め息をつきながら手元のクルマのキーを握りしめる。横にいるキサキはクルマのカギを探すこともなく、空を見上げ天気を伺っている。
「クルマじゃないの?」
「ここまで送ってもらったんだよね。簡単にランチをして帰りは散歩でもしよう思ってて。でもこの雨じゃなー。お店に傘を借りようかな」
「・・・・・・送って行こうか?」
「ほんと!? いいの?」
「うん。先週ちょうど中を片付けたから人が乗れるようになってる。キサキは運がいいよ」
 そうしてふたりで笑いながら駐車場にある中古の赤いマーチまで走った。濡れたアスファルトを蹴る度に水が跳ねる。わたしが急いでロック解除のボタンを押すと、キサキは子供のような素早さで助手席に転がり込む。わたしも急いで運転席に乗り込んだ。「すごい雨だね」とキサキが指先で髪の毛を整えながら言う。わたしは「ほんとだよねー」と言い、水滴がついたキーを差し込みエンジンをかける。FMぐんまから流行りの音楽が聞こえてきた。
 キサキのアパートはカフェのすぐ近くにあった。
「ここだよ。あの角で大丈夫」
 ハザードを出しながら指定された角にクルマを停める。ワイパーの助けを失ったフロントガラスからは外を確認することもできない。雨脚は強くなる一方だったが、雨音はわたしとキサキの間に流れる沈黙を心地良いものに変えてくれた。
「本当にありがとう。助かっちゃった」
 シフトレバーに置かれたわたしの左手にキサキは自分の右手を静かに乗せる。ゆっくりと込められる力は、キサキとわたしの体温が混ざり合うちょうどいい強さだった。
「もしよかったら寄っていく? 散らかってるけど、お礼もしたいし。コーヒーぐらいしか出せないけどさ」
 突然の提案だった。雨で湿ったキサキの掌を感じながら、わたしの左手はシフトレバーをさらに強く握った。
「今日は大丈夫。また今度、寄ることにするよ」
「そっか。じゃ、また今度ね。ショップの方にも遊びにきて」
 今度っていつだよ。と自分で自分にツッコミを入れた。キサキは「さて・・・」とだけ言うと勢いよくドアを開ける。大量の水が地面に叩きつけられ轟音を奏でている。
「じゃ、またね。本当にありがとう」
 キサキはそれだけ言うとアパートに向かって走りはじめた。不規則な雨音からリズムを探り、ステップを踏むように走るキサキの背中を見ていると、大学1年生の頃に気まぐれで受講したデザインの授業を思い出した。
「大切なのは骨格だよ」
 企業でプロダクトデザインをしているという講師は言っていた。
 最初に会った時からキサキのまっすぐな背中はとても印象的だった。きっとキサキの骨格は、神様がとりわけ丁寧にデザインしたのだろう。わたしが知っている世界とはまったく違う世界で生きているひと。車内にひとり残されたわたしは、助手席に残るキサキの余韻を感じながらクルマを発進させた。


 もう一度、キサキに会いたい。あの日以降、大学にいる時も、クルマを運転する時も、ひとりになる時間があればキサキのことを思い出すことが多くなった。これは理屈ではなかった。本能でキサキを求めていた。キサキのことを考えると、内側から自分を突き動かすような力を感じることができた。それは、もうずっと昔に置いてきてしまった好奇心と、漠然とした純粋な未来への期待だった。
 キサキのショップは駅前の道から少し奥にはいった場所にある。あの日、キサキと出会わなければこのショップに入ることはきっとなかった。目の前に広がるウィンドウには、高価そうな洋服を着たトルソーたちが並べられている。わたしは緊張していたが、キサキのようにきちんと背筋を伸ばして店に入ろうと思った。
 扉の重みを両手でしっかりと受け止めながらドアノブを回す。微かに開いた隙間からアップテンポな曲が聞こえてくる。キサキはあの美しい背中をこちらに向けて、もうひとりの女性と親しく会話をしているようだった。キサキと話をしている女性がわたしに気づいた。反射的に軽く会釈をすると、キサキとは違ったやわらかい笑顔を見せた。
「いらっしゃいませ」
「は? ・・・なに言って・・・」
 キサキは女性がこちらを見て微笑んでいることがわかると、ゆっくりと振り返った。そして、あの日と同じ笑顔でわたしに笑いかける。
「やだ、嬉しい! 本当に来てくれたんだ! どうもありがとう!!」
 キサキはわたしに向かって駆け寄り、強めのハグで歓迎してくれた。キサキの体温と微かなD&Gの香水を感じながら、憧れていた店内を見回す。わたしの他に人はいないようだった。先ほどまでキサキと話をしていた女性は、開封されたばかりの段ボールの隣で困ったように笑っていた。
「あ、すぐに片付けるから。ごめんね。チサ、コーヒーを淹れてもらってもいい?」
「はーい」
 チサと呼ばれた女性はすぐに店の奥へと消えていった。キサキはわたしから離れると手際よく段ボールを解体する。小さく畳まれた段ボールはレジの近くに置かれ、テーブル代わりに椅子が置かれた。キサキは店内の床に「よっこいしょ」と言って腰を下ろす。とても綺麗な洋服を着ているのに戸惑いはないようだった。
「ほら、立ってないで。あ、そうか。これを敷いてあげるね」
 と、手を伸ばしてレジの前にあったブランドの包装紙を取り、床に敷く。わたしは促されるまま床に腰を下ろした。
「今日も外は暑いの? まだ6月なのにすっかり夏って感じがするー」
「今日も晴れるって。夏日だってテレビで言ってたよ」
「ああ・・・ はやくアムスに行きたい・・・」
「アムスって?」
「オランダのアムステルダムのことよ。キサキはオランダと博物館フリーク、なのよね」
 チサさんがコーヒーの入った3つのマグカップをトレイに乗せて歩いてくる。コーヒーは淹れたてのいい香りがした。


 チサさんはキサキとは正反対の雰囲気だった。キサキが月なら、チサさんは太陽だ。キサキにはあまり感じられない母性のようなものを感じる。子供の頃、一人っ子だったわたしはチサさんのような姉をいつも欲しがっていた。
 チサさんと目が合った。無遠慮にじっと見過ぎてしまったせいで、気持ち悪い子だと思われるかもしれない。嫌な汗が背中を伝う。チサさんは声には出さず、唇だけを動かして「だ・い・じょ・う・ぶ・よ」と言った。キサキはわたしとチサさんのやり取りに気が付いていないようだった。キサキはチサさんに「ありがとう」と言って絵柄の揃ったマグカップを2つ受け取り、1つをわたしに手渡してくれる。
「チサさんはキサキと長い付き合いなんですか?」
「もう10年ぐらい一緒にいるんじゃないかしら。高校の頃からの付き合いだから」
「ここのお店もふたりの?」
「そう、キサキが海外で仕入れたものを売ってるの。わたしは店番とweb担当。まったく都合がいいんだから」
「だからいつも感謝してるって言ってるじゃん」
 これが“絆”と呼ばれるものなのかもしれない。わたしの目の前にいるふたりは、心の底から互いを信頼していた。そこには“他人”といった野暮な境界は存在しないように思えた。それは、奇跡のような気がした。少しだけ頭が痛み、これはすごいことなんだよ、と脳味噌も囁いている。わたしは、わたしの短い人生の中で、こんなひとたちに出逢ったことがあっただろうか? わからない。そんなの、映画や小説の中だけにしか存在しないと思っていた。そんな寂しいことを、常識のように当たり前に考えていた。
 目頭が熱くなっているのがわかる。これが『感動する』ということなのかもしれない。彼氏に「愛してる」と言われても、こんな風に涙が出てくることなんてなかったのに。泣きそうな表情を隠すため、思わず下を向いてしまう。靴や床、両手で包み込んでいるマグカップが歪んで見えた。
「そうだ! ちょっとこれを着てみない? ねえ、ねえ、ちょっと鏡の前に来てみて」
 突然、名前を呼ばれた。わたしは驚いて顔を上げる。きっと泣いているのがバレているのだろう。そこには、心配そうなキサキと洋服を持って微笑むチサさんがいた。
「ほら、はやくおいでって」
 チサさんは恥ずかしがるわたしに夏物のワンピースをあてる。自分では絶対手に取らないデザインのワンピースが身体にあてられ、わたしは恥ずかしくなった。
「どう? 似合うと思わない?」
 チサさんの声を聞き、大きな姿鏡を見る。そこには知らない女の子が映っていた。
「どうかな? わたしは似合うと思うんだけど・・・」
 チサさんが言うように悪くないかもしれない。そんな風に思い始めた時、鏡越しにわたしを見ているキサキと目が合った。キサキはあの不思議なアクセントで言った。
「すごくいいよ。よく似合ってるじゃん! でも、ワードローブはカジュアルなものが多いんじゃないかな? そしたらこれを羽織ってみて。・・・そう、羽織る前ならフォーマルな場面でも着ることができるけど、これを羽織るとちょっとカジュアルになるじゃない? それで手持ちの大きめのピアスでアクセントをつけてみて。そしたら大学でも全然浮かないよ」
「そうね、その方が似合うかもしれない。やっぱりキサキにはかなわないわねー」
 キサキにそう言われると、自分がもっと『いいもの』になっているような気がして嬉しかった。洋服が持つ強い個性を協奏させているかのようなコーディネートは、わたしひとりでは、きっと、一生かかってもできない。
 その後、想像力を掻き立てられたキサキとチサさんのお陰で、わたしは様々なスタイルの洋服を着ることができた。「これは違う」「こっちの方がいい」と真剣に悩む大人たちはかっこいい。最後は彼女たちのお気に入りのコーディネートをまとい、キサキが持つ一眼レフで撮影をしてもらった。チサさんは洋服に合わせて音楽を選び、わたしは恥ずかしさを忘れてポーズをとる。こんなに楽しいのはいつ以来だろうか。脳味噌も、筋肉も、今まで一度も使ったことがない部分が動いている。


「あと、よろしくね」
 キサキはチサさんにそう言い残し、店のドアを軽々と押し開ける。先ほどの余韻が残る店内をキサキとふたりで後にした。すでに20時を回っている。チサさんをひとり残して去ることに心苦しさを感じ、店の方を振り返る。ドアの向こうのチサさんはわたしに気づくと、小さく手を振ってくれた。
「ま・た・来・て・ね」
 やはり、唇だけを動かしてわたしに言葉を伝える。
「踊りに行こう!」
 わたしを誘ったキサキは、ショップから歩いて10分ほどのところにある小さなカフェの前で立ち止る。吹き抜ける身体を誘う艶めかしい夜風をキサキと一緒に感じている。キサキは階段の前に出された裸の白熱球に照らされる黒板を確認し、わたしの方を振り向く。
「今夜はハウスだって。どうする? テンションがアガっちゃって勢いで一緒に来ちゃったけど、もう遅いし、無理しなくて平気だよ」
「無理なんかしてないよ。わたしはキサキと一緒に行きたい」
「ならよかった」
 わたしの答えに安心したのか、キサキはわたしが大好きな笑い方をした。
 キサキは分厚い木で出来たドアに右手をかけて、ゆっくりと押した。来客を知らせるカウベルの音が心地良く鳴るが、その隙間から聞こえるリズミカルなピアノの音にすぐに掻き消された。薄暗い店内にはソファとカウンターがあり、席は常連客と思える人々で賑わっているようだった。カウンターにいるドレットの男がキサキに向かって手を挙げる。キサキはその男に向かって「what’s up?」と言いながら、カウンターに向かって進んで行く。薄暗い照明がキサキの美しい背中を浮かび上がらせている。神様が創った背中。博物館や美術館に展示されているのが相応しいと思わせるそれ。
 わたしはキサキから離れ、人々が音楽に身を任せて踊るフロアに進んだ。緩やかな笑い声、はじめて見るDJブース、カラフルな液体で満たされたマティーニグラス、そして天井から降り注ぐ音楽。この場所に存在するすべてが、大きな“うねり”となってわたしに語りかけている。


「踊ろうか」
 その不思議なアクセント。音の洪水の中にいても、わたしにはしっかりとキサキの声が届いている。わたしは声に導かれるようにして振り返った。キサキがわたしに向かって手を伸ばしていた。わたしはその手を取り、ゆっくりとステップを踏みはじめる。



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作家:HERE

1983年生まれ。幼少期に芥川龍之介から純文学の洗礼を受け、重度の活字中毒を患う。「日常の中に非日常を、非日常の中に日常を」とジャンルを問わず様々な本を読み漁る。1999年よりwebを中心に活動を開始。現在は一時的にwebを離れ『群馬美少女図鑑』にて小説を書き下ろしている。