祖母の記憶を辿る彼女の再生物語。
生きるか死ぬか。伸るか反るか。ヤるかヤラれるか。世の中は実にシンプルに出来ている。ならば「結婚するか、しないか」もそうであるはずだ。なのに、どうしてわたしは悩んでいるのだろう。どうして男は女がそんな気分などこれっぽっちもない時に、そんな夢みたいなことを言うのだろう。
祖母から出された冷たい麦茶を口に含む。潤った唇から溜め息がこぼれた。久しぶりに祖母の家を訪れたというのに憂鬱な気分だ。祖母は「アルバムを取りに行く」と言ってから暫く戻ってこない。ひとりの時間が訪れれば、すぐに「結婚しよう」と言った彼の顔が浮かんでくる。
重厚感のあるソファに身を沈め、天井に飾られたシャンデリアを見上げた。旧時代の調度品が溢れるこの家はすべて祖母の手でコーディネートされていた。自分の祖母ながらセンスがいい。わたしは世界中のどの場所よりもこの家が好きだ。
「ほらほら、そんな風に座っていたら背骨が曲がってしまうよ」
「そしたら背骨が曲がっているなりの人生を楽しむからいいよ」
払い落せなかったほこりがこびり付く古いアルバムを片手に祖母が立っている。80歳を過ぎた祖母は、今でも身体を壊すことなく元気に過ごし、毎日欠かさず化粧をしている。
「・・・おばあちゃんは、おじいちゃんと結婚してよかったと今でも思ってる?」
「どうして?」
「この前話した彼氏が結婚しようって言ってきたの。明日までに返事が欲しいって言うんだよ」
「ということは、お前は即答しなかったわけだ。やるわねえ」
「だってわたしには画家になるっていう夢があるし。今だってグループ展や個展の話が来たりしたら1週間とか2週間、1ヶ月だってアトリエに籠りっ放しになっちゃうんだよ。それで夫婦仲が悪くなっても困るし。男って最初はそういうことに理解があるフリして、いざってなると正反対のことをするじゃない」
「ふふふ・・・まるでもう結婚したかのような口ぶりだね」
祖母はゆっくりとソファに座った。よく磨かれた机の上に大事に抱えたアルバムを置き、赤い皮張りの表紙の上に丁寧に手入れをしている小さな両手を置いた。
「最初の質問だけど、もちろん良かったよ。今でもずっとおじいちゃんのことは愛しているから」
「やっぱりおばあちゃんは特殊だよね、80にもなって普通そんなこと言えないよ」
「知らないの? おばあちゃんとおじいちゃんはね、運命の二人なのよ」
2009年、8月の終わり。日本は大きな転換期を迎えていた。「未来」という言葉がこれほどまでに現実味を帯びない時代もないだろう。未来に媚びることをせずに生きることを決意したわたしは「ニート」と呼ばれていた。真面目な友人からは「それってちょー停滞じゃん! 死んでるって感じ。人生には終わりがあるんだから勿体無いよ!」と諭されたりもしたが、焦りはしなかった。わたしはこの生き方をとても気に入っていたし、大事なものは自分の世界だけだ。誰にも邪魔されず、このクソったれた世界とは一切繋がることがない美しい世界。幼い頃からいつもこの世界で遊んでいたからなのか、わたしは今でも現実の世界に興味を持てずにいる。わたしの親友は常に本や自分だけの空想の世界に存在していたし、わたしがわたしらしく「在る」ことができる日常もそこに在った。
両親の「どうしても」という強い要望を受け、地元の大学に入学し、なんとか卒業することができた。大学の図書館を利用できなくなってから、わたしは2週間に1度、近くにある図書館へ通うようになった。気にいった本をすぐに購入していた学生時代に比べ、収入が極端に少なくなったため(卒業と同時にバイトも辞めてしまった)、手元に置いておく本は思い入れのある本のみに我慢した。それでもお金は必要だった。泣く泣く厳選したとしてもハードカバーの本は1500円以上する。
借りてきた本をすべて読み終えてしまうと、わたしはちょっとしたお小遣い稼ぎに精を出した。高崎駅の東口から正面の階段を登ってすぐの本屋へ向かい、新刊をチェックした後、文藝雑誌を読み漁り文学賞の応募要項をチェックする。家では、インターネットの文学賞をまとめたサイトで、自分が書けそうな作品募集の項目を印刷した。
賞金や賞のジャンルを踏まえ、大体の目星をつけると後は応募締切日に向かってひたすら書いた。わたしの愛する世界の破片を原稿用紙へアウトプットする儀式的な作業。賞が求める方向性によって作風も、ペンネームも変えた。わたしにとってはプライドやオリジナリティよりも賞金が大事だった。なんせ、生きていくためだ。
「よし。10万円ゲット」
図書館に行く前に寄った本屋で、半年前に応募をした賞の結果を確認する。応募した作品名とわたしのペンネームが「佳作」という場所に小さく掲載されていた。賞金10万円。これが振り込まれると、生活に少し余裕ができる。雑誌を閉じ、次に買う予定の本を探し、新刊コーナーを見て回った。残念ながら、目当ての本はまだ並んでいなかった。
いつもの図書館へ向かう道は人通りも自動車も少なくとても静かだ。少しだけぺダルに力をいれてスピードを上げた。図書館が見えてくると自転車の籠の中の本たちが、故郷に帰ってきたと騒ぎ出しているような気がする。
駐輪場に自転車を停め、返却する8冊の本たちを籠から下ろす。わたしは鞄越しに本が持つ濃厚な重みを味わった。この重みがすべて本だと考えるだけで頬が緩む。最近「量は質を兼ね備えない」ということを聞くが「本だけは違う」とわたしは思っている。
「これ、返却です」
「はい。お預かりします。今日はあなたが気に入る本が返却されているよ」
「ほんとですか! ちょっと見てみますね」
わたしは定期的に図書館を訪れていたため、図書館の職員とはすっかり顔見知りになっていた。カウンターのおじさんが指を刺す方向にくるりと背を向け、たった今返却された本たちが待つ本棚を見る。右側の本棚を見ると、ずっと読みたいと狙っていた本が並んでいた。わたしはパチンと指を鳴らし、早速その2冊を手に取った。上下巻2冊組の本を左手で持ちなおし、上巻の表紙を捲る。印刷物独特の香りに眩暈を覚える。紙の質感を確かめるように、しっかりと紙を押さえ、数ページ捲ると最初の一文が目に飛び込んで来た。「わたしは依存しないということに、依存している」。わたしは依存しないということに、依存している。思わずその場で口ずさむ。わたしにぴったりの言葉だ。
予想もしていなかった嬉しい出逢いを抱きしめ、少し離れた場所にある「図書館からのオススメ本棚」の前で立ち止まる。ここは職員のオススメの本が並ぶ本棚だ。自他共に認める「読まず嫌い」のわたしは、このコーナーを忘れずにチェックし、毎回1冊はここで選ぶようにしている。今日は裁判員制度の本を手に取った。長い人生なのだ。無知は罪なのかもしれないし、なにより読まず嫌いはよくない。
3冊の本を抱え、検索機の前を通り過ぎる。ここからが本番だ。埋め尽くされた本棚は無条件にセクシーで、どんな男よりもわたしを惹きつける。その中の1冊の背表紙に人差し指で触れてみた。年老いた人間の皮膚のように乾いてしまったそこは、数え切れないほどの人間に愛され、汚された記憶をわたしに再生させる。隣の本棚の向こう側からは新聞や雑誌のページを捲る音が聞こえてくる。図書館に必要な音は紙と紙がこすれる音と足音だけだ。完璧な世界。わたしが愛するもうひとつの世界。
図書館を出ると携帯電話が鳴り始める。いつまでたっても聞き慣れない呼び出し音に驚きながら、通話ボタンを押すと聞き慣れた声が聞こえてきた。わたしは「またですか? すみませんけど、切りますよ」と言って遠慮せずに電話を切った。番号さえ知っていれば誰とでも繋がれる携帯電話は、その相手がどこにいて、誰といようが無関係に繋がろうとする。これが世の中の流れなのだろうか。肩に感じる本の重みだけが、情報化社会を憂うわたしを救ってくれる。思わず溜め息が出た。
「そんなに嫌そうにしないでくださいよ」
数秒前まで電話越しで聞いていた声がする。驚いて後ろを振り返ると、駐輪場の屋根の下に見知らぬ男が立っている。よく知る低音の声。しつこい電話越しの声。
「以前お話した際に図書館によくいらっしゃるということを伺ったもので、つい来てしまいました」
少し前にとある雑誌で佳作を受賞した後、この雑誌の編集部の人間だと名乗る男は「長編小説を書いてみませんか?」と何度も電話越しでわたしを誘った。「作家になりたいのなら、こんなチャンスは二度とないですよ」と言い、しきりに煽っていた(ような気がする)。
「前にもお話しましたけど、書く気はないって断ったはずですよね? それなのにこんな所まで押しかけてくるなんてどうかしていますよ」
ここはわたしの聖域なのに。
「突然すみません。でも、前にもお話しましたが、作家デビューも夢じゃありませんよ」
わたしのことをロクに知りもしないクセに「好きだ」と言う男がいる。しかも土足でひとの聖域に踏み込み、わたしのことなどお構いなしに自分の欲望を満たそうとする。そういう男たちに対して隙や優しさを見せてはいけない。一方的な思いがどれだけ相手の負担になるのか思い知れ。わたしがなにを欲しいのか、どうしてあなたにわかるというのか。
「結構です」
ただの興味本位でわたしの世界を壊さないで。
男からのメール攻撃はその日の深夜から始まった。メールソフトを立ち上げる度に、受信を知らせる軽快な音が鳴り響く。頼みもしないのに、佳作を受賞した作品の校正や物語に足りない個所、より深みが出るようにと参考文献までを書いてきた。特に手厳しく赤字が入っている原稿が添付されている時は落ち込んだ。まるで人格そのものを否定されている気分になるからだ。「この物語に思い入れはありません」と返信をすれば「落選した応募者に失礼だ」と叱られる始末だった。
それでも男からのメールを受信拒否にしなかったのは、男の視点がわたしとは違う独特なものであり、いちいち的を得ているように思えたからだ。この男はどんな世界を持っているのだろう。他人の世界に興味を持つのははじめてだった。
いつものように本に囲まれている。図書館というゆりかごは不安定なわたしをしっかりと受け止めてくれる。こういう日は小説よりも論文がいい。機械的に織り成す知識の縄は、野暮ったい自我をどこか遠くへと追いやってくれる。どの本にしようか、と品定めをしながら本棚を歩く。知っている著者を見つけ、本に手を伸ばそうとした瞬間、鞄の中に放り投げてあった携帯電話が勢いよく震え出した。
品のない虚勢を張る携帯電話を探すと、男の名前が表示されている。わたしは携帯電話を右手に取り、小声で「なんで電話してくんのよ」と悪態を吐きながら図書館を出た。
「こんばんは。そろそろ、書きたい気分になってきたんじゃないですか?」
「こんばんは。なりません」
外は蒸し暑く、掌で身体中を触れられているように不快だった。
「じつは、不治の病で余命3カ月の命だって言ったら執筆してくれますか?」
「今度は脅迫ですか?」
「きっとあなたはそういうと思って黙っていました。でも、事実なんです」
「バッカみたい」
「ですよね。僕もバカみたいだなって思うんですよ。朝起きたらすべてが夢でした。めでたし、めでたし・・・。でも、なんだか上手くいかないのが人生みたいで。だから最後に好きな作家の最新作を読んでから逝きたいなって思っ」
「やめて。これ以上なにも言わないで。わたしはあなたみたいな人間がこの世で1番嫌いです。そうやって、自分のことしか考えてない。そんなことを言われたら、わたしは書く以外の選択肢がないじゃないですか。わたしに自由はないんですか」
「わかってます。あなたに嫌われることを覚悟で言っています。それだけです。別にあなたを傷つけるために言っているわけじゃないんです」
「どこまで調子に乗ってるの? わたしが傷ついたなんてどうしてわかるんですか!」
携帯電話を路上に投げつける。プラスチックが聞き取れないほど小さな音で砕けた。奥歯を噛む。
「バッカみたい」
数歩先に転がる携帯電話を踏みつける。
わたしは、ヒトの顔を見ずに会話を赦す、この怠慢な道具が大嫌いだ、と思った。
「それで、その時におばあちゃんが書いた小説が今も売れてるあの本なの? それよりも、おじいちゃんは病気だったの?」
まるで小説のような祖母と祖父の出逢いを聞き、わたしは興奮していた。
「違うのよ。おじいちゃんはわたしに嘘を吐いていたの。それで、それを知ったわたしは、おじいちゃんの目の前で原稿用紙を破ったのよね。おじいちゃんったら、あの時、本当に慌てて・・・ 今思い返しても笑えるわ。それで、その後におじいちゃんと一緒にちゃんと小説を書いたの。それがあの本よ」
「破るって・・・。おばあちゃん、エキセントリックだね」
「そうかしら?」
祖母は口角を少しあげて笑った。口元に寄ったシワがとてもセクシーだ。このおばあちゃんが世間で「幻の作家」と呼ばれている人間だとは誰が思うだろう。その独特な文体で謳うように書かれている小説は、出版から半世紀経った今も青春小説の古典として愛され続けている。
「わたしも、おじいちゃんみたいなひとと結婚したいなあ・・・」
わたしの言葉に返事をすることもなく、祖母は手元に置いてあったアルバムを引き寄せ、ゆっくりとページを捲っている。そこには若い頃の祖母や祖父、そしてわたしの両親の写真が並んでいた。横にはポストイットで、祖母らしいユーモアに富んだコメントが添えられている。
祖母もわたしも黙ってアルバムを眺めていた。二度と巻き戻せない景色に、「立ち止まるな」と促されているような気分になる。
「・・・そうね。結婚したら夢を諦めるとか、あの人はわたしを認めてくれないとか、好きなことが出来なくなったとか、色々あるとは思うけれど、それは自分次第で解決できることばかりだと思うのよ」
祖母はわたしを真っ直ぐに見つめた。
「本当に欲しかったら覚悟を決めて、もっと貪欲になりなさい。欲しいなら掴み取りなさい。きっかけは絶対に掴むことができるから。誰だって未来はわからないんだから、だったら、掴みとるしか、やりたいことをやるしかないじゃない」
祖母はわたしを孫としてではなく、ひとりの女として話している。祖母のひとつひとつの言葉が胸に突き刺さり、自分の甘い考えに吐き気がした。わたしはいったいなにを迷っていたのだろうか。ずっと決断できなかった本当の理由に気づいてしまい、彼への罪悪感で潰れてしまいそうだ。
「ほらほら、泣かない、泣かない。大丈夫よ。あなたはきっと前へ進めるわ。たとえどんな未来が待ち構えていようと、強くなって覚悟して生きていきなさい」
子供に戻ったように泣き喚くわたしの隣に祖母が座った。彼女は会う度に小さくなっていく身体でわたしを抱きしめる。その身体は壊れてしまいそうなのに、とてもあたたかく、力強かった。
Beautiful girl pictorial book vol.3 [play]
出演:志塚奈未、佐野泰介
小説:HERE
撮影:GUU (TROiSDESIGN)
ヘアメイク:武藤美紀(Figo Hair)、桜井咲乃(Figo Hair)
撮影地:金澤屋、高崎上並榎庭球場、ほんだらけ
衣装協力:JEANASiS
企画・制作:TROiSDESIGN http://www.troisdesign.jp





■撮影どうだった?
「はじめての経験でとても楽しかった。何よりキレイにしてもらえて嬉しかった! 自分じゃないみたいで・・・」
■何して遊びたい?
「友達と飲みに行きたい、バーベキューがしたい♡」
作家:HERE
1983年生まれ。幼少期に芥川龍之介から純文学の洗礼を受け、重度の活字中毒を患う。「日常の中に非日常を、非日常の中に日常を」とジャンルを問わず様々な本を読み漁る。1999年よりwebを中心に活動を開始。現在は一時的にwebを離れ『群馬美少女図鑑』にて小説を書き下ろしている。
LINK >>>
□HERE http://liveat.gunmablog.net
□TROiSDESIGN http://www.troisdesign.jp
□Figo Hair http://www.legend.st/kitakantou/archives/366
□JEANASiS http://www.jeanasis.jp/index2.html
□金澤屋 http://www.kanazawaya.ne.jp/
□ほんだらけ http://www.hondarake.com/shop/takasaki/index.html
□高崎上並榎庭球場
http://www.takasaki-bs.jp/sports/kaminamie.html
2009年8月25日発行[群馬美少女図鑑vol.3 AUTUMN - play]