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フィクションで語られるストーリーを、現実の描写とあわせて連載する。『マルク・シャガール』の絵が連想させる、親しみやすさや、素朴さや、純真さ。それらを彼が晩年に得意とした作風、「夢と現実のコラボレーション」とイメージを重ねる。写ガールから創られる、群馬の美少女とクリエイターのストーリー。

vacation


気にならないって言ったら嘘になる、
彼女の薬指。
それでも僕は憧れる。



 いつも身体のどこかしら冷たい。
「年々酷くなるのよね」と田中さんは困ったように笑う。「ほら、靴下も2枚重ねてるのよ」とモーニング目当てのお客が一段落すると、その場で片方のブーツを脱いで僕に見せる。真っ白な脛が露わになり、紫と黒の靴下を重ねているのがわかる。その不格好な様子に「もう5月ですよ」と僕は笑う。
 右手の人差し指と親指で触れる田中さんの首筋は陶器のように冷たかった。僕は身体へ触れないよう、細心の注意を払いながら洋服のタグについていた糸屑を捕獲した。ミミズのような太さの繊維を田中さんへ手渡す。
「変なことさせてごめんね。首筋がくすぐったくって我慢できなくて」
「いいえ、光栄ですよ」
「なに言ってんの」



 田中さんがこの店に勤めはじめてからすでに1ヶ月以上が経つ。群馬の個人経営の喫茶店では珍しく「モーニング」を出すこの店で、淹れたての珈琲と上質な音楽と彼女の存在は等価値である。この不景気にも関わらず、休日出勤を仰せつかる幸福と、少しのやるせなさをひとり噛み締めるにはもってこいの場所だ。もちろん、同じ思いを抱いているのは僕だけではないようで、平日でもモーニングと田中さん目当てのお客が多い。とは、マスターである柳瀬さんから聞いた話だ。「なんでこの店にこんな良い人が来たんですかね」とうっかり零すと「ほんとだよな」と真顔で返された。どうやら既婚者らしい。とは彼女の左手に光る小さな石から推測される噂話だ。想像というよりも妄想で盛り上がる僕ら常連たちを、柳瀬さんと田中さんはいつも笑って眺めている。
 入り口の横に並ぶ雑誌ラックから日経を手に取り、いつもの窓際の席に腰を下ろす。木目のテーブルに直射日光が反射し、思わず目を細めた。徹夜出勤明けには厳しい外光だ。



 「田中さんはゴールデンウィークも仕事なんですか?」
 カウンターに入る田中さんに声を掛けたが、僕の声は豆が轢かれる轟音によって虚しく掻き消された。返答がないことを確認し、そのまま新聞に目を落とす。同僚の間で流行っている株に手を出してからというもの、こうして柄にもなく経済新聞を読むことが日課になった。日々移り行く株価に思いを馳せていると、次第に目が覚めるような甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「そっちこそ、どこか遊びに行ったりしないの?」
 色気のない白いプレートに並んだモーニング・セットが運ばれてくる。チーズ3種類、食感が僕好みの白いベーグルと単価調整の言い訳程度についたサラダ。そして苦手なオレンジに、柳瀬さんが焼いたマグカップへ注がれた珈琲。田中さんはそれらを慎重にテーブルへと置くと僕の対面の椅子へ腰を下ろした。
「こっちはゴールデンもなにも、平日とまったく変わらずに仕事ですよ。今日も夜勤明けです」
「朝9時で交代するってやつ? 前も何度かあったよね。景気いいじゃない」
「どうなんですかね」
「ちなみにサービス業にゴールデンウィークなんてシステムはありませんから」
「お疲れ様です」
 僕と田中さんは共犯者のように、心地良い意思疎通を楽しみながら笑った。一通り笑い終えたあと、僕は珈琲を口に含み、ベーグルを千切り、常温で柔らかくなったチーズをナイフで切り取る。目の前には眠そうな田中さんが窓から外の通りを見下ろしている。夜勤明けのご褒美にしては、贅沢過ぎる完璧な朝食だ。



 田中さんはモーニングに添えてある薔薇のかたちをした角砂糖をひとつ摘むと口元へ運ぶ。花弁まで丁寧に細工されたそれはすぐに唇へと溶けていった。
「あ、これ? 綺麗でしょ」
「前はこんなの付いてなかったですよね」
「柳瀬さんが見つけてきたの。わたしが店にはいったら思い出したんだって」
「なにを?」
「隠れた名曲・・・ それとも往年の名曲かな? どちらにしても絶対に知らないと思うけど」
 その後に続く有名過ぎる国民的フォークシンガーの名前は知っていたが、曲名は初耳だった。
「それって田中さんにとっても古くないですか?」
「どうかな〜」
 田中さんが小さく笑う度にゆらゆらと揺れる柔らかそうな髪の毛が、窓から差し込む光によって黄金に変わる。目尻に出来る皺の深さが、親密さと比例していると思い込んでも許されるだろうか。柳瀬さんも他のお客も知らない僕だけが知る田中さん。家族にも友人にも呼ばれることのない仇名で僕を呼ぶ田中さん。
「他のお客様には内緒にしてね」と言って教えてくれたメールアドレスからは、返信を求めない散文的な日常が送られてくる。
「さて、と」
 田中さんが空になったプレートとマグカップを重ねて立ち上がった。カウンターへ向かう見慣れた猫背を見届け、携帯で時間を確認する。すでにランチの支度にかかる時間だ。洗い物を片付けているのだろうか。シンクに水が落ちる音が聞こえる。僕はその音が好きだ。田中さんの気分によって蛇口から落ちる水の量は変化し、注意深く聞けば聞くほど彼女に寄り添うことができる。跳ねる水滴が荒々しく四方へ飛び散る日もあれば、真っ直ぐ吸い込まれるような日もある。今日は規則正しい呼吸のようなリズムで落ちている。



「ねえ、ドライブって好き?」
「ええ」
「じゃあ、今度一緒にドライブに行かない?」
「僕はいいですけど、田中さんは大丈夫なんですか?」
 突然きつく締め上げられる古びた蛇口は思わず甲高い悲鳴を上げた。濡れた手が空で風を切り、水滴は腰に巻かれたエプロンで拭き取られる。
 気にならないと言ったらそれは嘘だ。僕は田中さんが動く度に左手の薬指で光るそれを見つけて、自分勝手に傷ついていた。それは彼女から感じることのできる唯一の他人だった。語らずにして主張し、煩いほどに強固な意味を持つ存在。
「たかがドライブじゃない。なにがいけないの?」
 ずるいよ、田中さん。それを言われたら何も言えないじゃないか。



 高崎の外れにある、寂れた大型スーパーの駐車場で待ち合わせをした。だだっ広い駐車場の隅で待っていたのは、すでに生産が終了している英国のスポーツカーだった。写真や雑誌、映画などで見たことはあったが、実物とは初対面だ。今では珍しいボディが目を引く。田中さんの趣味なのか、ホイールがアルミへ変更されるという粋なドレサージュが、オーナーである主人に不朽の享楽を約束している。
 想像もしなかったクルマの登場に興奮し、急いで助手席の方へ向かった。少しだけあたたまったドアノブが吸いつくように手に馴染み、風格あるドアを開ける。運転席でハンドルに身体を預けていた田中さんが、僕に向かって手を挙げた。挨拶よりも先に言葉が走る。
「ビックリしました。めずらしいクルマに乗ってますね」
「若いのによく知ってるね。そうです、田中家自慢の一品です」
 サングラスをかけた彼女が僕に向かってピースサインを作ってみせた。ここ数日の曇天が嘘のような快晴になったせいか、田中さんは不自然なぐらい明るい。僕の知らない、はじめて会う田中さんに少しだけ居心地の悪さを覚えつつ、皮張りのシートに腰を沈める。スピーカーからは謙虚な鼠が「チャンスは1回。ラッキーだったらモノにできるかもね」と歌っている。



「そういえば、今日はどこに行くんですか?」
「こういうシチュエーションは温泉でしょ! ほら、わたし一応人妻だしさ、悪いことしてるなって感じがしない?」
「語感だけですけど」
「そうそれ。語感と淫靡な雰囲気。湿った布団に、日陰の匂い佇む畳。煙立つ露天風呂。文句無し!」
「随分楽しそうですね」
「楽しくないの? こういう時はね、神様がくれた長い休暇だと思って気楽に真剣に楽しむべし!」
「それ、90年代に流行ったドラマでしたっけ? この前、再放送してましたよ」
「えっ、ロンバケしらないの? 嘘でしょ?! あれ? そういえば、何歳なの?」
 僕が年齢を言いながらシートベルトを締めたことを確認すると、田中さんは「うそ! そうなんだ、若いんだね」と笑いながらシフトレバーをドライブに入れ、ゆっくりと駐車場を出口へ向かって旋回する。彼女の趣味とは到底思えない『交通安全』のお守りが、ウインカーレバーで揺れた。



 店以外で会うのは今日が「はじめて」というわけではない。ただいつもは互いの仕事帰りの「ついで」だったので、今日のように「休日に待ち合わせて」といった行動に戸惑いを覚える。田中さんはなにを思って、僕をドライブへ誘ったのだろうか。わからない。どんな時でも僕たちは自分たちのことを語らなかった。今思うとあの膨大な時間の中で(時には「もっと」を強請ってみたくなるほど濃密な時間だった)、なにを話していたのだろうか。
 僕らは『知る』という行為をどこかで恐れていた。情報が増えて行けば「いつか」相手に特別な感情が芽生えるかもしれない。麻痺した理性は『もっと知りたい』と相手を食い尽くし、その欲望が単なる支配欲だと気づくのは、いつも後戻りできなくなってからだ。



「天気がよくてよかったよね〜。ここ最近天気が悪いから心配してたんだよ〜」
「ほんとですね。いい天気だ」
 誰かが積んだアルバムが終わる度に、チェンジャーが懐かしい音を立てて次の1枚を選ぶ。音と音の合間を縫って僕と田中さんは、店を訪れる常連客や柳瀬さんの話で盛り上がった。不気味なほど途切れることなく会話は続く。不思議だった。店でも呑み屋でも感じることがなかった、拭い切れないほどの違和感が身体を浸し、ずっと自分を誤魔化していた疑問が脳裏を過る。
 田中さんは俗に言う『悪女』なのだろうか? 僕は誑かされているだけなのだろうか? ただ、そうだとしても、救いようのない事実は、田中さんと一緒にいたいと願っているのは紛れもない僕自身ということだ。



「ちょっと寄ってみよっか」と言って向かった榛名湖の駐車場にはほとんどクルマが見当たらない。「平日だし、湖しかないからね」田中さんは笑いながらクルマを降り、どこに向かうでもなく歩きだす。風が冷たい。薄着の田中さんを心配したが彼女はまったく気にしていないようで、揺れる黄色の水仙を見つけると無邪気に駆け寄る。
「あのさ、水仙の花言葉って知ってる?」
「知ってると思います?」
「知らないと思う」
「田中さんは知ってるんですか?」
「無駄に年齢だけは重ねてませんからね。黄色の水仙の花言葉は・・・」
 途端、僕を通り越して湖を見る瞳が揺らいだ。
「やめた。自分で調べなさい。わかんないことをすぐ聞くのって今の若い子の特徴だよね」
 田中さんはなにかを振り切るように大声で笑った。そこに誰も決して立ち入ることが、許されない領域があることを思い知らされる。
 いつものように幼さを装い「教えてくださいよ」とは口が裂けても言えなかった。砂利を踏み潰しながら、田中さんは立ちつくす僕に構わず、クルマに向かって歩きはじめた。



「田中さんは悪女ってどう思います?」
 なんの前触れもない質問に田中さんは立ち止まり、驚いた顔で僕を見た。正気とは思えないほど子供じみた反抗だった。
 遊びで恋愛ができるほど器用でもなければ、片時も繋がっていたいと思うほど本気でもない。ただ、田中さんと同じ空間に存在できればよかった。そこに彼女の笑顔があり、僕を呼ぶ声が聞こえる。セックスもなければ、キスもない。ただそこにあるのは、誰もいない場所で右手と左手をひっそりと少しの間、繋ぐだけ。「もっと」を強請る余裕など、どこにもない。
 田中さんから表情が消えて行く。知らないひとを見るような眼で僕を見つめたまま、返事はない。僕もなにも言わなかった。言えなかった。彼女は一度だけ俯き、黙ったまま背を向けて歩きはじめた。僕はすべてを拒絶する猫背をしばらく眺めていた。
 戻った車内には押し潰されそうな空気が充満している。田中さんは黙々と目的地へ向かい運転し、「言わなければよかった」と僕は後悔していた。ほとんどの愚行がそうであるように「取り返しがつかない」と気付くのは、すべてが台無しになったあとだ。田中さんの「ロング・バケーション」をぶち壊してしまった罪悪感が身体中にまとわりつく。



「さっきの答えだけど」
「はい」
「別れた男は二度と愛せないけど、女はいつでも誰でも愛せる生き物よ」
「男は?」
 返答はない。唇に薄く引かれた口紅が少しだけ動く。
 四角に区切られた窓に映し出される景色は、速度とともに表情を変える。増える緑と比例して、僕らの間に会話はなくなっていった。心地良い無言と、知らない曲で満たされる誰もいない密室。僕はシフトレバーを握る彼女の右手に左手を静かに乗せる。田中さんの右手は悲しくなるほど冷たかった。
「冷たいって思ったでしょ?」
「よくわかりますね」
「当然」
 この時ほど感じたことはない。
 理解という錯覚がもたらす桃源郷は、きっと「言葉など必要ない」という向こう側の世界だ。



「最後」は突然僕たちを訪れた。
 いつものように店の扉を開けると、田中さんはいなくなっていた。代わりに「いらっしゃい」と僕を迎える柳瀬さんに話を聞くと「もう何回も聞かれた」とウンザリしながら「妊娠したんだって」と一言返された。妊娠? 予想もしなかった言葉に打ちのめされながら「そうっすか。おめでとうございます」と返し、いつものメニューを呪文のように呟く。柳瀬さんはカウンターをくぐりながら、「俺に言うなよ」と小さく愚痴る。悲しいのは僕だけではない。



 「田中さんがいない」という事実以外に変化は無く、店の秩序は必要以上に正しく在る。日経を握りしめ、座り慣れた窓際の席へ腰掛け、携帯電話をテーブルへ置いた。喉に鉛が詰め込まれ、呼吸をするのもままならない。事実を拒絶する胃の痙攣を押さえこむように奥歯を強く噛み締める。これでよかったんだ。これでよかったんだ。これでよかったんだ。あの関係に「どうありたいか」という問いに答えは持ち合わせていない。
 携帯電話を開け、田中さんの名前を探し出し迷わず削除した。無慈悲な電気製品はあっさりと痕跡を消去する。人間の脳味噌もこれぐらい単純に組まれていたらいいのに。この前のドライブ、その後もここで何度も他愛のない話で盛り上がったこと、メールアドレスを交換したこと、はじめて会った日のこと。走馬灯のように巡る。好きだったのか? 好きだったのかもしれないし、そうでなかったような気がする。ただ、嫌いではなかった。それだけだ。もう、なんの意味も持たないが。
 感情がついてこない。こうなることはわかっていた。『いつか』来るべき時が来るだろうと、何度もシミュレーションだってしていた。まだ実感が沸かない。明日、仕事帰りにここへ寄れば田中さんがいるような気がしてならない。
 僕たちには何もなかった。最初から「はじまり」さえも存在しなかった。どれほど時間を重ねても、惰性に似た過去が連続していくだけだ。何も変わらない。僕はまた慣れ親しんだ日常へ埋没していくだけだ。この瞬間の過去から田中さんの記憶を綺麗に削ぎ落とすことは不可能だとしても、彼女という他人に救われたぼくの欠片をいつか、笑って誰かに話すことができるだろう。

Beautiful girl pictorial book vol.6 [Vacation]
出演:森田香織
小説:HERE
撮影:GUU
ヘア:戸丸知香(hair Do Sugar rable)
撮影地:榛名湖、CAFE×LOUNGE SLOW
衣装協力:calecon compo
車手配協力:RISING(car:MGB)
企画・制作:TROiSDESIGN http://www.troisdesign.jp


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■休日の過ごし方は?
「韓流ドラマがお友達(今は)」
■私だけのオススメスポットは?
「自家製燻製創作料理『宗』ジャズが流れる居酒屋さん。日本そばのペスカトーレが美味しい!」


作家:HERE
1983年生まれ。幼少期に芥川龍之介から純文学の洗礼を受け、重度の活字中毒を患う。「日常の中に非日常を、非日常の中に日常を」とジャンルを問わず様々な本を読み漁る。1999年よりwebを中心に活動を開始。現在は一時的にwebを離れ『群馬美少女図鑑』にて小説を書き下ろしている。


LINK >>>
□HERE  http://liveat.gunmablog.net
□TROiSDESIGN  http://www.troisdesign.jp
□hair Do Sugar rable  http://www.sugar-rable.info
□calecon compo  http://www.calecon-compo.com/
□RISING(car:MGB)有限会社ライジング  http://www.rising-mini.jp
□CAFE×LOUNGE SLOW  http://www.dan-b.com/cafe-slow/


2010年5月25日発行
[群馬美少女図鑑vol.5 SUMMER - Vacation(バケーション)]